裸のマハ

感想、妄想を書いておくところ

ていねいな暮らし考

「ていねいな暮らし」って何。と思ったので書く。テレビで『リトル・フォレスト』という映画をやってたせいかもしれない。横目で見てたからちゃんと見てない、ごめん。あと『土を喰らう十二か月』という映画も観たな。

現時点での結論としては、面倒を引き受けるってことかなと思う。

まず、ていねいな暮らしってやつは時間に余裕がないとできない。だいたい現代で普通に働いていたら無理だ。そして楽しむには(特に都市部では)、金がかかる。気に入った食器やインテリアをそろえる、なんてのも時間と金が必要だし、食にこだわって自家製の漬物、とかも意外と大変だ。大量に漬けるには道具もいるし、手間も時間もけっこうかかる、と思う(漬物でも炊飯でも思うけど、大量に作らないと出ない味ってある)。
都市部においては、時間と心と金銭に余裕のある人間が、楽しむために「あえて」面倒を引き受けてやること、という感じがする。大抵のものは金を出せば近くで、あるいはネットでも買える。買わないで手間をかけるのは面倒を「楽しみたいから」だ。だから「ていねいな暮らし」ができないからといって気に病むことはない。

 

都市部で、と書いたのは、楽しんでない「ていねいな暮らし」があると思うからだ。ていねいな暮らしと田舎暮らしは結びつきやすい。「ていねいな暮らし」の大本にあるのはモノがない時代の田舎の暮らしなのかもしれない、とも思う。金はない、売ってない、材料と手間暇をかける自分の体はある。
身の回りにある資源はすべて無駄にできない。畑でも山でも、労力をかけて作ったり採ってきたものは、無駄なく使いたい。だから干す、漬ける、保存しておいて何も取れない冬に備える。新しいものはなかなか買えないから、古いものを大事に、ときに修理して手をかけて、使う。布もそう。継いで刺繍して、作り変えて、使う。
でもそれは楽しむというより、知恵をしぼり、面倒を引き受けないと生きていけないからだ。もちろん、手間をかければ美味しくなるし、愛着もわく。多くの場面では楽しむ余裕なんてほんのちょっとで、必要だから、とか仕方なく、やってきたのかな、とも思う。お金があるなら便利なものを買いたい、本当はもっとゆっくり休んだり眠ったりしたいと思いながら。
最近では田舎でも何でも手に入るようになったので、楽しめる範囲内でやってるような気がするけど。

 

なんかその、ファッション的な「ていねいな暮らし」にちょっとイラつくのは、やりたくてやってない苦労を、外や上から眺めて感銘を受けて、マネして、楽しんでいるように感じるからなのかも。昔の暮らしや田舎の暮らしにあこがれるのはいい。でもその、資源を大切に使うためにやっていること、という部分が消えて、完全に楽しみのためになったとき、モヤモヤしてしまうのかな。
例えばだけど、素敵な食器やインテリアでそろえられた部屋は、家にあるまだ使えるものを気に入らないからと捨てた上に成り立ってるわけで。なんというか、都市的な大量消費の暮らしとは基本的に性格が違うよね。服もワンシーズンで買い替えたりとかさ。現代ではモノを無駄にするほうが安く済む、っていう側面もあると思うのだけど。あるいはそういう大量に買っては捨てる、そのためのお金を稼ぐ忙しい生活の裏返しに「ていねいな生活」を目指したくなるのか。
ファッションじゃなく、モノや資源を無駄にしないための「ていねいな暮らし」なら私はイラつかないのかもしれない。それはたぶんあんまりカッコよくなくて、なんならケチで貧乏くさい生活に近いから……。そう思ってるから、映画になった「ていねいな暮らし」がきれいすぎて、お金がかかってて、こんなのウソだ!って思ってモヤモヤするんだなー。理想だからあれは!!

もはや田舎だから環境にいい暮らしなんてことはないんだけどさ。田舎のほうが野菜のクズとかばんばん捨てるしね……。エコな生活にはお金がかかるよね。自分も手間を楽しむ生活?活動?もするけど、自覚だけはしておこう、と思います。基本的には雑な生活を送ってるんだから、楽しみのために何かをいたずらに無駄にはしないように……。